父と子と聖霊なる神、と祈り (WCF 2:3)
ウェストミンスター信仰告白第2章3節
「神の統一性の中に、ひとつの本質、力、永遠性をもつ三つの人格がある。すなわち、父なる神、子なる神、聖霊なる神である(1)。み父は何からでもなく、生まれもせず、出もしない。み子は永遠にみ父から生まれる(2)。聖霊は永遠にみ父とみ子とから出る(3)。」
参考聖句: 1 Ⅰヨハネ5:7、マタイ3:16,17、マタイ28:19、Ⅱコリント13:13 2 ヨハネ1:14,18 3 ヨハネ15:26、ガラテヤ4:6 ※⑴
聖書と思い巡らし
マタイの福音書28章19節がクリスチャンはひとりの神の「名」において洗礼を受けると言いますが、具体的に「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」とイエスが命じられました。※⑵ 創造主なる神は「本質、力、永遠性」で統一して「ひとり」ですが、「三つの人格〈表現に苦労して、『位格』などと別訳されることもある〉」として存在されます。三位一体の創造主なる神です。
これはただの論理や推理ではなく、聖書の知らせを整理しようとしてきた教会が打ち立てた結論です。そして意味ある、私たちを励ます知らせです。
神様は創造の前でも「寂しい」と、物足りなく存在しておられず、おひとりとしてでも父・子・御霊の交わりの中で完全に満足して存在されています。ですから、私たちの必要と渇望をも満たすことのできる方です。神は人に依存や共依存の関係を持たないで、与えて与えて与えてくださいます。
そして同じ働きについて共に働くと同時に、役割分担もあると書かれています。例えば、エペソ1章3~14節を読むと、父なる神様が計画して子を送ってくださいました。子が人の代表として贖いをなされました。(そして今は執り成し・仲介のわざを続けてくださいます。)霊が人に救いを届けてくださり、共にいてくださいます。
こうして牧田吉和という牧師がまとめました。
「キリスト者には, 主の日の公的礼拝において, あるいは日々の祈りの生活において, 神との交わりに生きる現実がある. では, その神との交わりの現実はどのようにして可能となっているのであろうか. 神は, 三位一体の神として, 唯一の神でありつつ, 父なる神そてい “われわれの上に”あり, 子なる神として “われわれの前に”あって”われわれのために”立ち, 聖霊なる神として “われわれの内に”住み, そのようにして御自身との交わりに生かしてくださる.」※⑶
神様の祝福も、三位一体から来ます。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」(第二コリント13章13節)
祈り
天のお父様、私を救おうと計画して、選んで、愛するゆえに御子イエスを私のためにお与えくださり、ありがとうございます(ヨハネ3章16節)!イエス様、私のためにも来てくださり、私の罪を背負い、葬られ、復活して、天で治めて執り成しで支えてくださり、ありがとうございます(ヘブル7章25節)!聖霊様、私の内に住んでくださり、聖書で神の声を理解して、心から応答できるものとしてくださり、ありがとうございます(第一コリント12章12節)!父、子、御霊の神様、あなたほど素晴らしい存在はあるでしょうか!アーメン。
引用、補足など
※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994年、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、全て新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。投稿者訳なら明記します。
※⑶ 牧田吉和『改革派教義学 第2巻 神論』(一麦出版社、2014年)100ページ。
Westminster Confession of Faith and prayer series, Reformed Christian theology in Japanese.
