「天にいます…父よ」 主の祈り(2)
マタイの福音書6章9節より
神様が人間に祈りという特権を下さり、関係を持てるようにしてくださったことを前回確認しました。それは主の祈りの初めから分かることもできます。
マタイ6章9節 「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。…』」
今回、「天にいます…父よ」に集中します。私たちが神様の栄光と高さをも、親しさと優しさをも、知って信じてこそ祈ることができるためです。
一昔前まで、上下関係の意識は強く、先輩後輩や先生と弟子の関係は確固たるものでした。それはそれで問題が発生しやすかったですが、今度、色々なハラスメント(上下関係悪用による不正)や個人主義の台頭によって、上から下に向けた尊敬も下から上に向けた尊敬の両方も失われたと思われます。だから私たちは神様をどう見たら良いかも、よく分からないかもしれません。
しかし、感謝なことにいと高きところの創造主なる神様は近づいてくださり、どう接すればよいか教えてくださいます。
神様の威厳をも…
「天にいます」私たちの理解と想像を超えて、宇宙は広大です。それを一言で創造されたのは、神様です。そして神様は宇宙を超えて、「天」に住まわれます。言い換えると、時空を超えて、おられます。そして天で絶えず恐れ畏まれ、礼拝されます(詩篇148:1-2、イザヤ57:15前半、黙示録4:8-11)。絶対主権を持って、支配なさいます。「無限、永遠、不変」の知恵や義のご性質において完全です(ウェストミンスター小教理問答第4問)。私たちに想像することも、正しく描くこともできないほどに、偉大です。
神様のあわれみをも
同時に、私たちが祈るお相手は「父よ」と呼ぶ方です。尊敬を抱きつつも、正直に大胆に話しかけて良い父親です。父なる神様はあわれんで、恵みをもって祈りに聴いてくださいます(詩篇103:13-14、ルカ11:13、ルカ18:1-14)。もっと言うと、父なる神様から、良い父性が分かります。なお、私たちの不完全で、罪深い父親から神様像は作りやすいですが、本当は私たちは逆に神様から、父のあるべき姿を学ぶ必要があります。
ウェストミンスター小教理問答第100問が「天にいます…父よ」を次のようにまとめます。
主の祈りの序言は、私たちに何を教えていますか。
答:(「天にまします我らの父よ」という)主の祈りの序言が私たちに教えている事は、私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づくこと、…
主の祈りの初めを信じて、祈る
こういう神様だと信じきれていないから、私たちは祈りを軽んじたり、ためらったりします。しかし、これは聖書が、イエス様が教える神様です。「天にいます…父」です。その威厳と愛を証明するのは、イエス様の十字架です。天からの刑罰がイエスに下ったが、そもそも、それは罪びとを神の子とするための、絶大な愛の故でした。
第一ヨハネ4章9~10節 神はそのひとり子を世に遣わし、 その方によって 私たちにいのちを得させてくださいました。 それによって 神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥めのささげ物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。
だから、私たちは「天にいます…父」と祈ります。
※聖書 新改訳2017版