神の完全な知恵と主権、と祈り (WCF 2:2b)
ウェストミンスター信仰告白第2章2節 ⑵
〈真の神〉は、ご自身よしとされることを何事でも、万物によって、万物のために、万物の上に行なうために、万物を最も主権的に支配される(8)。彼の目には万物も歴然とあらわであり(9)、彼の知識は無限無謬(むびゅう)で、被造物に依存しないので(10)、何ひとつとして、彼には偶然や不確かなものがない(11)。彼は、そのすべての計画、すべてのみわざ、すべての命令において最もきよい(12)。彼には、み使、人間、その他あらゆる被造物に彼が要求することをよしとされるどのような礼拝・奉仕・服従も、当然払われなければならない(13)。
参考聖句: 8 黙示4:11、Ⅰテモテ6:15、ダニエル4:25,35 9 ヘブル4:13 10 ロマ11:33,34、詩147:5 11 行伝15:18、エゼキエル11:5 12 詩145:17、ロマ7:12 13 黙示5:12-14 ※⑴
聖書と思い巡らし
真のの神様が思うがままに、全てのことを知り、全てのことを支配なさる…。世にある悪、苦しみや私たちの心配事に目を向けると、そう信じたくないかもしれない。でも、私たちは造られ、存在しているのは神様の御心ゆえである(黙示録4章11節、エペソ1章11節)。神様が全てを「最もきよい」ように全てを計画され、支配なさる知恵も力もお持ちであられる。
ローマ人への手紙11章33〜35節※⑵ ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
「だれが主の心を知っているのですか。
だれが主の助言者になったのですか。
だれがまず主に与え、
主から報いを受けるのですか。」
神様は知恵も力も限りがない。知り尽くせない。「何ひとつとして、彼には偶然や不確かなものがない」方である。未来の可能性でも現実も、ありとあらゆることを把握されている。私たちには偶然に見えることも、神様は計画された。主に助言を与え、主にとって新しいことを教えられる人も状況もない。
アダムは罪を犯して、隠れようとした。でも、「神の御前にあらわでない被造物はありません。」(ヘブル4章13節)私たちも悪魔も、神様を驚かせることは一つもない。
今回の信仰告白は終わりに、造られた者は天使であれ人間であれその他であれ、神様に礼拝を捧げ慕うべきであると述べる。これは、神様との関係の根底にある原則(信仰告白7章参照)である。返すことができない恩、一方的で絶対的な恩恵を受けている。
私たちはささげて然りの礼拝をささげられない。この罪深さも、いかにも不思議に神のご計画にあった。でも、神の完全できよい知恵と力は福音をも備えられた。罪びとは何も与えず、ただ受ける祝福がある。イエス・キリストに信頼を置くと、その方を通して「義」ありとの言い渡しを神より受ける。つまり、完全な「礼拝・奉仕・服従」を捧げたイエスのように扱わ歓迎される。これが福音の驚くべき知らせである!
祈り
天のお父様、神様の知恵と力に圧倒されるばかりです。何と言えば良いのでしょうか。私の罪、世界の不正、自然災害や人災にさいなまれる私ですが、神様が知恵と力をもって全てを支配しておられると信じたいです。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9章24節)主イエスによって、神様にあらわな罪が赦されるという福音の知恵と力を感謝いたします(第一コリント1章23〜24節)。主を通してお祈りします。アーメン。
引用、補足など
※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、全て新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。投稿者訳なら明記します。
Westminster Confession of Faith and prayer series, Reformed Christian theology in Japanese
