「クリスチャン生活は辛い」とボソッと言うこと、聞くことはありますか。神様によって罪が赦された、という喜びは時間が経つと、薄れることがあります。聖書の学びを深めます。その中で、するべきこととしてはいけないこと(律法)をもっと知ります。また、ヘブル人への手紙の終わりの方にある厳しい呼びかけを読むかもしれません。
…聖さを追い求めなさい。…ヘブル12章14節
クリスチャンは生きている今にも、楽にしたいときもあります。でも、聖さを追求するように言われます。大変です!でも、努力してきよさを追求する動機付けを知るなら、忍耐できると思います。
神の子どもである…すでに
第一ヨハネ3章2節前半 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。…
「神の子ども」は神様の家族として、永遠の神様と親しく関わる絆を持っています。それはイエス・キリストを信じて受けた絆です(ヨハネの福音書1章12節)。この関係があるゆえ、将来に大きな望みはあります。どういう姿になるか、詳しく知り得ません。しかし…
キリストを仰いで、キリストに似る日が来る
第一ヨハネ3章2節後半 …私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
敬愛する家族や先生から、オンラインのインフルエンサーまで様々な模範は周りにいます。私たちは何人かの模範に憧れて成長します。彼らに(少なくとも部分的に)似てくることを目指します。
最上の模範また規範は、最高の人間であるイエス・キリストです。そして、なんと、そのキリストに、キリスト者は似るようになると約束されています。どうしてかと言うと、キリストご自身にお会いします。その時の感激を想像もできません。言葉にできません。
「永遠のいのち」は、父なる神様と子なる神イエス様を(親しく)知ることです。イエス様を仰ぐ、かの時のは、私たちの存在の中で、最高の至福の時となるでしょう。私たちが死ぬ際、あるいはイエス様が地上に戻られる再臨に経験します。※⑴
キリストに似る日を前に、努力する
喜ばしいことに対して、だらしなく準備することはあるでしょうか。
結婚式に花嫁が次のように思うことは想像できますか。「口周りに食べ残しあるけどいいや。ウェディングドレスにベトベトした手を拭いた。リハーサルに間に合わないけど、買い物してから行こう。花婿は優しいから、こんな感じでいいでしょ…。そう言うはずはありません。楽しみにして、丁寧に備えるでしょう。クリスチャンも、ワクワクしつつも丁寧に、イエス様に喜ばれる姿になろうと努力する心を持つように励まされます。
第一ヨハネ3章3節 キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。
そしてイエス様は先に、教会に加わる一人ひとりを愛して、熱心にきよさへ導く方です。
エペソ人への手紙5章25~27節 キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられた…みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
イエス様に会う日を楽しみにして、きよさを求めようではありませんか。
引用文献
※⑴ 「問37 信仰は死の時、どんな祝福をキリストから受けるか。
答 死の時、信者の霊魂は、全くきよくされ、直ちに栄光に入り、その身体は、なおキリストに結合されていて、復活の時まで墓の中に休む。」ウェストミンスター小教理問答問37日本基督改革派教会信仰規準翻訳委員会改訳(つのぶえ社、1990年版)http://www.rcj-net.org/resources/WCF/text/wsc.htm