神様の啓示の必要性、と祈り(WCF 1:1)
序論で説明したとおり、ウェストミンスター信仰告白が冷たい学者の議論ではなく、活きる信仰を支え、祈りを励ますものであるという経験と感謝をもって書いている「思い巡らし」(デボーション)である。信仰告白の箇所を読み、聖書から理 […]...
ウェストミンスター信仰告白…と実践、祈り(シリーズ紹介)
ウェストミンスター信仰告白って、長いですね…。聖書の分厚さを見て「ヒェー」と心の中で悲鳴をあげたノンクリスチャンの方の反応に似ているかもしれません。 全てのクリスチャンが同じ信仰告白を簡易信条にして、イエス様を仰げば […]...
「聖なるもの」主の祈り(4)
「御名が聖なるものとされますように①」マタイ6章9節 イエス様が弟子たちそして私たちに教えてくださる最初の願い事「御名が聖なるものとされますように」はピンと来ないかもしれません。「聖なる」もピンと来ないかもしれません。 […]...
「…私たちの父よ」主の祈り(3)
共同体として、教会は祈る クリスチャンは個人として、一人一人自分で信じるように求められるし、個人として祈るようにも教えられますが、それだけではありません。 マタイ6章9節 「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天に […]...
愛をもって、真理を!(神学が分裂の種か①) エペソ4章13〜16節
神学を話し合うのがタブーという、暗黙の了解はあるように感じます。それが分裂の種であり、協力を阻むものと考えられているでしょうか。(「輪」と「和」の優先も絡んでくるのでしょうか。) ところが、「神学」と呼ばれていくても、実 […]...
「天にいます…父よ」 主の祈り(2)
マタイの福音書6章9節より 神様が人間に祈りという特権を下さり、関係を持てるようにしてくださったことを前回確認しました。それは主の祈りの初めから分かることもできます。 マタイ6章9節 「ですから、あなたがたはこう祈りな […]...
祈るように招かれている 主の祈り(1)
遠い、しかし、近くまで来てくださった神様 聖書の神様は、人が祈るように招いてくださる方です。言い換えると、クリスチャンは他の宗教では味わえない関係を楽しむことができます。 一方である宗教の神は超越し過ぎたり、人格がな […]...