神の愛の豊かさときよさ、と祈り(WCF 2:1c)
ウェストミンスター信仰告白第2章1節 ⑶
「ご自身の不変な最も正しいみ旨の計画に従い(17)、ご自身の栄光のために(18)、すべての物事を営み、最も愛(19)とあわれみと寛容に満ち、善・真実・不義や違反や罪をゆるすことにおいて豊かで(20)、熱心に彼を求める者たちに報いるかたであり(21)、そのさばきにおいては最も公正で恐ろしく(22)、すべての罪を憎み(23)、とがある者を決してゆるさないおかたである(24)。」
参考聖句:17 エペソ1:11 18 箴16:4、ロマ11:36 19 Ⅰヨハネ4:8,16 20 出エジプト34:6,7 21 ヘブル11:6 22 ネヘミヤ9:32,33 23 詩5:5,6 24 ナホム1:2,3、出エジプト34:7
聖書と思い巡らし
神様の「み旨の計画」については、第3章で詳しく取り上げられる(エペソ1章11節)。神様について知るべき他のことの中には、神様の相反する様だが、不思議に両立する神の愛の豊かさときよさを教える。
多くのクリスチャンも他の宗教の信仰者も、神様の愛は受け入れやすいが、その厳しい裁きを拒絶したいと思うだろう(逆のパターンもあるが)。ところが、両方は聖書に、しかも同じ箇所に、神様の本質に関わるものとして登場します。
イスラエルの民は、主なる神様(ヤハウェ)より受けた契約の関係をすぐさま放棄して、偶像を作り、礼拝してしまった(出エジプト32章)。その後に主は預言者モーセと、その民を見捨てるか赦すかという課題を取り上げた(出エジプト記33章)。モーセのとりなしの結果、伴い続けると主は言ってくださった。さらに、33章18節でモーセが熱心に「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」と祈って、主は近寄り、その栄光の一部を見せてくださった。でもただの現れではなく、自己啓示として語られたご性質もあった。
出エジプト記34章6〜7節 【主】〈ヤハウェ〉は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」
モーセは神様が同時にあわれみと厳正な報復を施されることを知った(8節)。「神は愛」であるとも、「神は光」とも書かれている(第一ヨハネ4章8節・1章5節)。霊的な暗闇を一切受け入れられない、聖なる愛の方であられる。
神様は聖なる「ねたみ」で、その民である人々に真心の愛を差し伸べ、また求められる。だから、一方で「怒るのに遅く、…咎と背きと罪を赦す」が、もう一方で恵みを捨てる者には「必ず罰して」しまわれる。これは違った神や態度の変化ではなく、変わらない、聖なる神様が人の異なった心に対して違う現れがあることを意味する。
恵みは千代にまで、罰は4代にまでとは、罪を犯した人のひ孫までに特定の呪いがあるという訳ではないが、結果は確かに人から人に及ぶ。神様は地上でそういうことをなさり、さらに、個人の一人一人に永遠の裁きをも、公正に、正義をもって、なされる。
祈り
天のお父様、私は神様のご計画より自分の計画を重んじ、神様の義ある怒りを受け入れたがらない、自分勝手な者です。その裁きを受けるにふさわしい者です。しかし、イエス様にあって、モーセにも知らされた愛と義、あわれみと怒りの成就がなされたと信じます。私に来るはずだった「罰」と「報い」をイエス様が受けて、私「恵みとまこと」が示されています(詩篇85篇10節)。ありがとうございます。聖いねたみを抱くほどに私を愛し、神の国に入れようと思ってくださる神様。私も深く、神様を慕い愛するように、助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
引用、補足など
※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、全て新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。投稿者訳なら明記します。
Westminster Confession of Faith and prayer series, Reformed Christian theology in Japanese
