計り知れず変わらぬ神様、と祈り(WCF 2:1b)

ウェストミンスター信仰告白第2章1節 ⑵

真の神様は「…欲情もなく(7)、不変(8)、遍在(9)、永遠(10)で、とらえつくすことができず(11)、全能であって(12)、最も賢く(13)、最もきよく(14)、最も自由(15)、最も絶対的で(16)、…」

参考聖句:   7 行伝14:11,15   8 ヤコブ1:17、マラキ3:6   9 列王上8:27、エレミヤ23:23,24  10 詩90:2、Ⅰテモテ1:17  11 詩145:3  12 創世17:1、黙示4:8  13 ロマ16:27  14 イザヤ6:3、黙示4:8  15 詩115:3  16 出エジプト3:14

聖書と思い巡らし

 真の神様について聖書が伝えることのまとめを続けます。

 「欲情もなく」は難しい表現であるが、「受動的ではない」ことを意味する。神様は聖書で感情を、擬人法で表されるが、被造物に影響されるたびに、時間の流れに沿って変わることはあり得ない。(使徒の働き17章15節で、神々と見間違えられたパウロとバルナバは、「私たちもあなたがたと同じ人間です」と言ったのは、「あなたがたと同じように状況に左右される者として、神々ではない」というニュアンスである。)しかし、神と持つ関係が冷たく機会的であるのではない。むしろ、変えられないでありつつも、神様の御性質が決して変わらないという約束を含む(信仰告白7章1節参照)。それは「不変」にも出て来る。

マラキ書3章6節 「【主】であるわたしは変わることがない。
そのため、ヤコブの子らよ、
あなたがたは絶え果てることはない。」

「偏在、永遠」は時空間の超越を意味するので、神様が特別に大きいとか特別に長く存在されること以上のことである。さらに、どの人も神様を完全に「とらえつくすことが」不可能である。

詩篇145篇3節 …その偉大さは 測り知ることもできません。

 ただ、全て知ることはできなくとも、人間の限られた理解力でも、教えられた事を真実として知ることはできる(Cannot know fully, but can know truly)。

 続けて、神様は何でもおできになり「全能」、また完全なので当然「最も賢く…きよく…自由…絶対的」な方であられる。

イザヤ書40章28節 …主は永遠の神、
地の果てまで創造した方。
疲れることなく、弱ることなく、
その英知は測り知れない。

 絶対的な神様の前で、祈らずにいられようか。今回のように濃い神学を学ぶ際、まず聖書箇所を調べ、その意味合いを思い巡らすのは大切。聖書が導くように、そのとおりに神を認めるべきである。私が神学校で「神学」の勉強を深めて、単に知識が増えただけでなく、黙示録4章8節のように、神に関する「神学」をおそれと喜びをもって、礼拝の味わいも深まったと経験した。自分から目を離して、言い尽くしがたい神様を見上げること以上に素晴らしい事はあるまい。

黙示録4章8節 この四つの生き物…昼も夜も休みなく言い続けていた。

「聖なる、聖なる、聖なる、
主なる神、全能者。
昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」

祈り

 天のお父様、あなた様を知り尽くすことはできません。聖なる、聖なる、聖なる、完全で揺るがない方です。だからこそ、私は滅びません。むしろ、イエス様を通してご自分を啓示して頂きました(ヨハネ1章14・18節)。イエス様を通して完全な神様に赦され、生かされることができてありがとうございます。私は霊的に鈍く、けがれ、欲の虜になりやすい者ですが、神様が賢く、きよく、自由に私のためにも計画をなさいました。あなたこそ、素晴らしい方です。主イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。

引用、補足など
※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、全て新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。投稿者訳なら明記します。

追伸 神様は「とらえつくすことができ」ないほどの方であられる…でも諦めないで、もっと知りたいと思うことができることを願う。私たちを超越した方こそ、私たちの揺らぐ人生に揺るがない喜びと希望を与えられる。

Westminster Confession of Faith and prayer series, Reformed Christian theology in Japanese

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