神様からの「十分な理解」と祈り(WCF 1:7)

ウェストミンスター信仰告白 1章7節

「聖書の中にあるすべての事柄は、それ自体で一様に明白でもなく、またすべての人に一様に明らかでもない(1)。しかし、救いのために知り信じ守る必要のある事柄は、聖書のどこかの個所で非常に明らかに提出され、開陳されているので、学識ある者だけでなく、無学な者も、通常の手段を正当に用いるならば、それらについての十分な理解に達することができる(2)。」

参考聖句: 1 Ⅱペテロ3:16 2 詩119:105,130 

聖書と思い巡らし

 使徒ペテロは使徒パウロの書簡について少し面白いことを書きました。

第二ペテロ3章16節 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。

 パウロの何通かの手紙は「聖書の他の箇所と同様」に神の御言葉、聖書でありつつも、分かりにくいことも書いてあるね、とペテロが言います。私たちも少しホッとするかもしれません。これは二つのことを私たちに教えます。(ここから、パウロの書簡のような、新しい契約時代の書き物にも、旧約聖書同等の神の御言葉があると教会ですでに理解されたことが分かります。)

 そしてこの箇所は大切な事を教えます。聖書の「明白さ」(英語:clarity)にあるように、聖書の理解しやすさは箇所箇所によって様々でありつつも、注意と信頼に値するものだという事です。

 聖書が分かりにくい箇所はある、と聖書の一部を書いたペテロまで認めますし、「無知な、心の定まらない人たち」は間違って受け取ることもあり得ます。しかし、それは聖書のせいではありません。むしろ、罪ある人(キリスト以外の全人類)が聖書を読む際、偏見などに基づく誤解は入ってしまい易いのです。

 しかし、聖書の全部を理解できなくても、聖霊様の助けにより、正しく理解することは可能です。今回の信仰告白が言うように、「しかし、救いのために知り信じ守る必要のある事柄は、聖書のどこかの個所で非常に明らかに」啓示されました。現代の科学や考古学、社会学や流行がなくてもいいのです。古今東西の信者が理解できるように、書かれました。

 むしろ、どの時代でも変わらない、真理なる著者の神様(信仰告白1章4節)の変わらない御言葉だと信じて読み、「無学な者も、通常の手段を正当に用いるならば」(7節)、必要な真理(神様、人間、キリスト、永遠のいのち、教会と信仰生活などについて)の「十分な理解」を得られます。※⑵

 一言で言うと、聖書は、普通の人にとって十分に分かりやすく、書かれています。感謝です!

祈り

 天のお父様、聖書を私のような者、いや、どのような人のためにもお与えくださり、ありがとうございます。分かりにくい箇所は未だに残っていますが、神様が完全な知恵と真理と愛と力を持って、このように人間の著者に書かせてくださったと信じます、信じたいです。神様の言葉を疑う代わりに、分からないことを告白して、読み続けるようにお助けください。そして明白にされていることを感謝します。イエス様の御業(みわざ)の故に、信仰によって義と認められ、神様の子とされ、きよく歩めるように変えられつつあることを信じます。今後も聖霊様の助けを下さい。期待して、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

※⑴ 引用:(1)聖書箇所は原則、新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。(2)「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。

⑵ 発達障がいなどのある方に神様がどう働いてくださるかは、関連の質問ですが、神様の恵みと知恵がそこにも光を当てると信じます。ウェストミンスター信仰告白10章3節参照。

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