聖書から教えを学ぶ方法、と祈り(WCF 1:6)
ウェストミンスター信仰告白 1章6節(2)
「6 神ご自身の栄光、人間の救いと信仰と生活のために必要なすべての事柄に関する神のご計画全体は、聖書の中に明白に示されているか、正当で必然的な結論として聖書から引き出される。…(1)。それにもかかわらず、わたしたちは、…神礼拝と教会統治に関しては、常に守られなければならないみ言葉の通則に従い、自然の光とキリスト教的分別とによって規制されなければならない、人間行動と社会に共通のいくつかの事情があること、を認める(3)。」
参考聖句: 1 Ⅱテモテ3:15-17、ガラテヤ1:8,9、Ⅱテサロニケ2:2 … 3 Ⅰコリント11:13,14、Ⅰコリント14:26,40
聖書と思い巡らし
聖書は私たちが神様と生きた関係を持つに十分だとしても、理解するために努力は必要である。その教えには「難易度」が色々である。そして、その重要度や難易度に沿って、結論の出し方は幾つかある。私たちはよく考えて、答えを求める使命を受けている。
1)まず、「明白に示されている」がある。聖書が本当にはっきり明言する教えである。神様が特にはっきりさせたこれらは、特に大事な事です。(信仰告白1章7節参照)イエス・キリストの主権、罪の贖いの現実などが含まれる。このような事は、本当の教会全てで共通意識である。単純に、謙遜に読めば、一目瞭然のことである。
2)「正当で必然的な結論として聖書から引き出される」教えは、もう少し難しいが、聖書の各箇所の照らし合わせで分かり得る。明言されていなくても、聖書全体の教えを深く読み、照合して、神様が下さった理性で確認できる「結論」である。それは聖書の他の教えと矛盾することはあり得ません…全体の著者は真理なる神様であられるから(信仰告白1章4節)!
ただし、「正当」な結論は、各教会の中で一致するべきもの(例えば三位一体の教理)もあるし、一致しないものもありえます(例えば幼児洗礼の是非では、本当に正統な教会が実践で別れることはある)。
3)「自然の光とキリスト教的分別とによって規制されなければならない…事情」は聖書がそれほどはっきり教えていない事なので、もっと難しい。そのため、「正解」は聖書の箇所と状況を照らし合わせた「知恵」で決めていく。聖書の原則を熟慮した上で、理性(自然の光)と、聖書によって作り変えられつつある世界観(キリスト教的分別)によって決めるべき詳細はある。
例えば、何時に主日礼拝をするか。地域の方にどのように福音を届けるか。クリスチャンの個人は社会でどのように活躍すれば良いか(職業、政治、社会貢献など)…。第一コリント14章40節でパウロが言うように、「すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。」
信仰告白1章7節で見るように、判断しにくいこともある。しかし、神様に祈って頼り、理解する助けを期待し、理解する努力に招かれています。
第二テモテ2章7節 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。
祈り
天のお父様、聖書からすぐに解る事、直観的に解る事もありますが、それでも従うのは難しいです。また、解りにくい事もあります。どうか、助けてください。聖書をよりよく知って、正しい、到達すべき結論に至り、また神様からの知恵を受けて(ヤコブ1:5)分別できるよう、助けてください。私が独りでなく、まず聖霊様の助けで聖書の熟読に励み、さらに教会の共同体の中で適切で良いことを知り、信じ、行えるよう、助けてください。明白に示された神様のご栄光、イエス・キリストにある罪の贖い、そしてともにおられる御霊の導きを感謝して、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
※引用:(1)聖書箇所は原則、新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。(2)「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※参考文献:Ryan M. McGraw, “Good and Necessary Deductions,” Tabletalk 48 no. 10 (October 2024), 17-19. ジャレッド・ジーダー著「釈義学とは?」楠望訳、リゴニア・ミニストリーズ。2025年11月15日掲載。