「神の国」? 主の祈り(7)

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 イエス様が教えてくださった祈り方の型にあるマタイの福音書6章10節 「御国が来ますように…」は最初ピンとこないかもしれませんが、クリスチャンにとって大きな意味があります!分かって、祈ることができるように、まず「御国」(言い換えると、神様の王国)は何でしょうか。

「御国」「神の国」?

 「御国」は、あらゆる(少なくともクリスチャンがする全ての)良い行いに現れる、という提案はあります。ところが、ウェストミンスター小教理問答第102問の答えは「御国を来たらせたまえ」を教会に集中する祈願として説明します。御国を「恵みの王国」とも言い換えます。神の国について聖書の教えを再確認しましょう。

「神の国」が来た時は、その王が来た時

 イエス・キリストは「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と宣教の初めに仰せになりました(マルコ1:15)。そして「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」とも言われました(ルカ17:21)。「ただ中」は要するに、聴いていた人々の間に立つイエス様のことでしょう。王(イエス御自身)が来られたから、神の王国も近づいていました。

 要するに、イエス様が建て上げたものでなければ、神の国とは言い難いです。

神の国の証拠は、人々の変えられた歩み

 「神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」(ローマ14:17)個人がキリストを通して神様に立ち返る(悔い改めて福音を信じる)と、必然的に心から新しい歩みを聖霊によって始めます。「義と平和と喜び」を全人生で求めるでしょう。

 だから神の国は、教会に集う行為で終わるものではありません。変えられた歩みが神の国の到来の証拠です。変えられることを祈って、御国が来るように祈ります。

神の国の地上の「支部」

 ところが、変えられた生き方は個人中心でなく、神の「国」中心です。そしてイエス様やパウロは教会とその「かしら」を取り上げて、神の国またイエスの国を教会と深く関連付けます。

 イエス様は教会を使徒たちの上に建てられると言われました(マタイ16章18節。エペソ2章20節参照)。さらにその統治の代務を教会の指導者たちに委ねて、それを「御国の鍵」と呼びました(マタイ16章19節)。神の王国は地上では、教会が「支部」のように拠点となっています。

 エペソ人への手紙1章22節に「神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました」とあります。父なる神様はキリストを世界だけではなく、特に、具体的に教会の王(かしら)としてくださいました。イエス様は教会の王なのです。イエス様は教会を礼拝に導き、御言葉で治め、人々を変えて送り出してくださるからです。

 だから、「御国が来ますように」と祈ることは、特にキリストのからだなる教会の健康な成長を祈ることです。神様の王国が見える「支部」、枠組みは、第一に教会なのです。そこで個人は刷新されて、世界の中でも神様の子として活躍できるように変えられて行きます。

「恵みの王国」

 だからもちろん、クリスチャンが愛のわざを行って、世界に広く(各職場、家庭、社会で)益をもたらすことは良いことで神の国が人の心に訪れたことを示します。ただし、実際に人が救われ、悔い改めてキリストの民となるときにこそ、神の国が広がり、来ます。

 だから私たちは主の祈りで「御国が来ますように」と祈る際、特に教会のために祈ります。

※引用(1)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会。(2)ウェストミンスター信仰基準(小教理問答、第教理問答、信仰告白)は日本基督改革派教会大会出版委員会編訳より。