霊なる、完全な神様、と祈り(WCF 2:1a)
ウェストミンスター信仰告白第2章1節 ⑴
「ただひとりの(1)、生ける、まことの神(2)がおられるだけである。彼は、存在と完全さにおいて無限であり(3)、最も純粋な霊であり(4)、見ることができず(5)、からだも部分(6)も〈ない〉…」
参考聖句:1 申命6:4、Ⅰコリント8:4,6 2 Ⅰテサロニケ1:9、エレミヤ10:10 3 出エジプト3:1-14、ヨブ11:7-9、ヨブ26:14 4 ヨハネ4:24 5 Ⅰテモテ1:17 6 申命4:15, 16、ヨハネ4:24、ルカ24:39
聖書と思い巡らし
聖書は、創造主なる神様について多くのことを教える。想像が絶するほどに、私たちの理解を超えて偉大で恵み深いお方である。知る価値が溢れるばかり、無限に魅力的なお方であられる。そしてイエス・キリストによると、「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。 」(ヨハネ17章3節)永遠のいのちを深めるには、「ただひとりの、生ける、まことの神」を渇望し知ろうとする心が求められる。(ここでは浅くしか話せないが、一つ一つの参照聖句を読み、考え、祈るのをお勧めする。)
神様は「存在と完全さにおいて無限」とは、存在し始めたことも終わることもないこと、時空間を超越しておられる方だと意味する。モーセが主なる神と出会った際の燃える柴のように、火が柴を燃料としないで、ただそこにあった(出エジプト3章1〜5節)のと同じように「『わたしはある』という者である」(14節)、自由自在の存在、神様のみでも完全な存在である。
完全!
「あなたがたの天の父が完全である…」とイエス様が神様について教えられた(マタイ5章48節)。神様は究極の、超越して、無限の方。始まったことも、改善されることも、劣化することもない。聖書は部分的に完全な神ではなく、完璧完全「存在と完全さにおいて無限」を啓示している。絶対的存在であられる。
そして神の完全さは測りうるような完全さではない。我々被造物と比較する際、桁違いの超越でなく、次元の違いで私達を超越されている「無限」である。
また、神様は私たちが求めるような物体の現象でご自分を現さないのです。霊として、目にすることもできないし、空間の限定を意味する身体はない(偏在される)。
第一テモテ6章15〜16節 祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。
当然、神様に関する知識だけで永遠のいのちを持ち、深める訳ではありません。親しく知るという意味で、聖書で啓示されている神を知ろうと求めようではありませんか。
祈り
天のお父様、完全で無限なるあなた様について考えることだけでも難しさを覚えます。神に関する神学をすると、自分の小ささを知ります。神様は「近づくこともできない光の中に」おられます。何よりも先に、何よりも超えて存在されていて、私はどうして近づくことができるでしょうか。
しかし、完全な神様に近づくように、神様がイエス・キリストととして近くに来てくださったことを覚えて、驚き、感謝します。私と共にいるために、聖霊様を通して今も完全な神様が私の心の内にいていくださり、感謝いたします。ますます神様を知るように、お助けください。主イエス・キリストの御名を通してお祈りします。アーメン。
引用、補足など
※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、全て新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。投稿者訳なら明記します。
Westminster Confession of Faith and prayer series, Reformed Christian theology in Japanese