権威ある語りかけと憩い、と祈り(WCF 1:10)

ウェストミンスター信仰告白第1章10節

それによってすべての宗教論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見・人々の教義・個人の精神が検討されなければならないところの、またその宣告にわたしたちがいこわなければならないところの至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない(1)。

参考聖句: 1 マタイ22:29,31、エペソ2:20、行伝28:25(2)

聖書と思い巡らし

 最終的な権威はどこにあるのか。何によって、安心できるのか…全人類は怒涛の世界に生き、悩み、苦しむ。世界に問題があり、解決が必要だと誰でも分かる。特に、永遠に続く人の魂とその行方について悩む。政治的革命、個人の自己啓発や訓練、宗教の修行などなどに希望を求める人はいる。あるいは、信仰告白1章10節が言うような「宗教論争」を通して答えまた平安を求めるかもしれない。

 確かに、真実な答えは必要である。そこで、信仰告白にあるように歴史上のクリスチャン先輩や会議で打ち出された聖書理解、個人的な結論や気持ちはあり、そこにある程度の知恵もありえると認める。でも、それが中心の根拠とはなれない。

 クリスチャンは、権威ある語りかけを受けて、憩うことができる。すなわち、「至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない」のである。これらの「究極の教え手」は最高の権威をもって、語られる。それらは協力して、憩える、真理を伝える。聖書と、聖書を人に書かせて、今、人に理解させてくださる聖霊様である。

神の言葉の内容 聖書

1)聖書は、神様がすでに語ってくださった「確かな預言のみことば」である。

第一ペテロ1章19節 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

神の言葉の声 聖霊

2)聖霊様は聖書を通して語っておられる。聖書の言葉は聖霊様が預言者を通して語られたものである。

使徒28章25節 …パウロは一言、次のように言った。「まさしく聖霊が、預言者イザヤを通して、あなたがたの先祖に語られたとおりです。」(続けて、26節以降でイザヤ書6章を引用)

 さて、私たちは「先生が言ったから」「本・ブログ・ビデオで聞いたから」を主な理由にして、何かを信じて平安を得ようとするのだろうか。祈ってから黙想して、感じてくることを聖霊様の「声」と捉えるだろうか。どれも、不確実、不安定である。神様がすでに、聖書を持って、聖書を通して、語ってくださった!聖霊様は聖書を用いて、心を照らし、今に必要なことを伝えてくださるから。

 聖書にしがみつき、神様にすがる人は幸い(ヤコブ1章21節)。

祈り

 天のお父様、常に聖書に戻り、憩いを得て、立つことができますように。このように祈る内容も、神様に教えていただきます。「確かな預言のみことば」を受けて、励ましを受けるように助けてください。主の助けに頼って、イエス様が私の生半可な信仰の罪のためにも死に、復活してくださったという「福音として宣べ伝えられたことば」(第一ペテロ1章25節)によって慰めと希望を受け、憩います。聖書に基づいて、人間関係・仕事・趣味・芸術・社会・政治・全ての分野において、神様が喜ばれることを求められるよう、知恵をお与えください。期待して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

引用、補足など

※⑴「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。
※⑵ 聖書箇所は原則、新改訳2017 (©2017 新日本聖書刊行会)の引用です。
※⑶ イメージ:林 竹治郎「朝の祈り」(1906作)北海道立美術館蔵。パブリックドメイン。

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