神の王国Vs悪魔(主の祈り8)

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 主の祈りの「御国が来ますように」は一つの国で完結する物語ではありません。ウェストミンスター小教理問答第102問が最初に挙げる「御国が来ますように」の意味は、「サタンの王国を滅ぼしてくださるように」です。確かに、神様の王国が広がるために、侵略してきた悪魔の王国を倒す必要は確かにあります。

サタンの王国の始まりと広がり

 創造主なる神様の主権は、創造と摂理のゆえ、世界に及んでいます。しかし、悪魔(サタン=「告発する相手、仇と言う意味)が入り込みました。エデンの園の管理人アダムに追い払われるどころか聞き入れられ、地に自分の王国を広げてしまいました。

 創世記4章でも早速、サタンの王国は弟を恨み殺したカインとその子孫で広がりました。彼らは技術、芸術、都市の発明家や達人であり、多くの意味で成功していました。しかし心は神様に背いて、高ぶりそして結果として暴力に満ちました(創世記6:5参照)。悪魔の王国は、人数や権力などで見れば、世界中で優勢かもしれません。

神様の救いがなければ皆は悪魔の王国の民

 神様が介入して引き戻さない人の全ては、「サタンの王国」に入ったままです。クリスチャンたちはこう言われます。

エペソ人への手紙2章1~2節 あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊〈悪魔〉に従って歩んでいました。

 ですから、神様の救助の介入がどうしても必要です。

悪魔の罠

 悪魔は二つの罠で人を、自分の王国に留まらせようとします。一方で偽の平和で安心させ、もう一方で恐怖で動けなくするのです。大抵、この両方が人をつまずかせるかもしれません。どちらでも、神様の王国から離れたままにしようとします。

 例えば、宗教や霊的なことに感心をあまり持たない人は特に偽りの平和の罠にかかるかもしれません。日本では「和」の追及がこれと合致します。迷惑にならなければ最善と考えて、同調圧力に従っていきやすいです。建前上、「平和」、平穏かもしれません。こうして、悪魔は偽りの「平和」を勧めて、神様を無視する、楽な人生を勧めます。

 もう一方で、宗教熱心な人は霊界に対する恐れに縛られて、神様から離れることもあります。ばち・祟りや金縛り(悪霊の攻撃?)、そして死を恐れて生きてしまいます。でも上の、世俗的な平和でも、結局は人の目を恐れることはよくあります。悪魔の王国には、恐れが満ちています。

本当の平和

 悪魔の王国が滅ぼされるまで、世には本当の平和はありません。実際、イエス・キリストがすでに決定的に、悪魔を打ち砕いてくださったという励ましを受けています。どの恐れをも、偽りの平和をも取り払ってくださることができます。

ヘブル2章14~15節 〈神の〉子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、  死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。 

 十字架で死なれたイエス様は悪魔を打ち砕き、神の王国を始めてくださいました。その現れである教会に加わる私たちは、一方で神を無視する偽りの平和と、もう一方で悪魔による恐れから解放されます。だから悪魔の国の滅びを願って、「御国が来ますように」と祈ります。

* 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会。ウェストミンスター信仰基準(小教理問答、第教理問答、信仰告白)は日本基督改革派教会大会出版委員会編訳より。