「最も必要なもの」と祈り (WCF 1:1)
このシリーズの紹介はこちら。学びの第2弾です。
ウェストミンスター信仰告白1章1節 ⑵
「…主は、いろいろな時に、いろいろな方法で、ご自身の教会に対してご自分を啓示し、み旨を宣言し(3)、また後には、その真理を一層よく保存し広げるためと、教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して一層確立し慰めるために、その同じ真理を全部文書に委ねることをよしとされた(4)。これが、聖書を最も必要なものとしているのであって(5)、神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている(6)。」
参考聖句:3 ヘブル1:1 4 箴22:19-21、ルカ1:3,4、ロマ15:4、マタイ4:4,7,10、イザヤ8:19,20 5 Ⅱテモテ3:15、Ⅱペテロ1:19 6 ヘブル1:1,2
聖書と思い巡らし
聖書がある意義は二つ挙げられています。1)過去に一度語られた言葉は少しずつ忘れられ、伝説となり、真実性を欠けた噂になり得ます。ところが神様は「心理を一層よく保存し広げるため」に、特別啓示の御言葉を文書として残すようにされました。2)「教会」(文脈で、旧新約時代の神の民の通称)が揺るがないで立ち、さらに慰めを受けるように、文書で残すようにされました。
ローマ15章4節 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。
私たちも一回言われたことをよく忘れますが、思い起こせるようにメモを残したり、日記を書いたりします。神様は人を愛して、教会を愛して、私たちが迷わないように聖書として特別啓示を下さいました。その中心はイエス・キリストを示します(キリストを通して神を知るので、ヨハネ14:6)。
そして聖書が「最も必要な物」と書いてあるのは重要です。それがないと私たちはキリストを知ることができず、永遠のいのちを受けることもできません。しかし、それにこそいのちがあるから、必要でありまた神からの素晴らしい贈り物です。
第二テモテ3章15節 …聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
ヨハネの福音書5章39~40節 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」
最後に、信仰告白1章1項は「昔の方法は、今では停止されている」と述べますが、人への幻などが原則、教会へのメッセージとしてもう用いられなくなったことを意味します。神の助けで気づかせられることは多くありますが、神様に何を求められているか、何を信じればよいかは、すべて聖書に書き留められていて、それ以上必要はありません。神様は「この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました」とヘブル人への手紙1章2節が言うとおりです。使徒の時代の特別啓示の後、聖書に全て必要が満たされる(第二ペテロ1:19、第一ヨハネ1:1~3参照)ので、必要が満たされました。
祈り
天のお父様、近づくために私は何もできませんでした。何もしていませんでした。何もしようと思ってもいませんでした。しかし、イエス・キリストにあって、「この終わりの時に」語ってくださって、ありがとうございました。キリストが必要でありまた約束されていると示す旧約聖書、そしてその約束の成就を教える新約聖書を感謝します。私は欠けだらけの孤児の様な者でしたが、聖書でキリストの富を賜って、子としてくださいました。ありがとうございます。キリストの御名によって祈ります、アーメン。
※ウェストミンスター信仰告白の引用:「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編、1994、新教出版社。1964年訳 日本基督改革派教会信条翻訳委員会。