「すべての事において」主の祈り(5)
マタイ6章9節 「御名が聖なるものとされますように」②
前回、「聖なるもの」の意味を考えました。罪びとが聖なる者へと変えられて、創造主なる神様の栄光をあらわせるように(崇めるように)祈る様になる、ということでした。次は、ウェストミンスター小教理問答の解説の別の一部を見たいと思います。
問101 第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答 (「ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、…ということです。
要するに、神様はどういうことによって、御自分は聖なる、特別な存在だと表すのでしょうか。答えは、「すべての事」において、です。つまり、何事においても、神様はこの祈りに応えておられます。
「神が御自分を知らせるのに用いられる事」
・被造物。神様が造られたもの(自然など)の美しさや秩序から、御自分を知らせることはできます。私たちそれを経験する際、感謝や賛美を捧げることができます。
・経験。また、必要が満たされると神様の助けを感じて、喜ぶことができます。例えば、詩篇67篇はイスラエルの祝福を祈りますが、その目的は、イスラエルが繁栄する結果、周りの国が創造主なる真の神様のすばらしさを知り、共に喜ぶためです。
詩篇67:7 神が私たちを祝福してくださり 地の果てのすべての者が 神を恐れますように。
ですから日々の生活の中で、神様が認められるように祈るのは、私たちが神様の良さを味わって、他の人にも示すことです。さらに良心でも、良いことを判断して、それで神様の正しさを思うことができます。
・神の御言葉。でも特別に、聖書が与えられて、聖書の教えによって神様はご栄光をあらわしてくださいます。神様が約束されたとおりに事が成ったことも、その力、知恵、恵みなどの素晴らしさをよく示す話や祈りでいっぱいです。
苦しみでも?
最も難しいのは、苦しみの中でも、神の栄光のために祈ることでしょう。ヨブはそのようにできた一人です。家族を失い財産を奪われ、健康を失っても「【主】は与え、【主】は取られる。 【主】の御名はほむべきかな」と告白しました(ヨブ1:21)。神の素晴らしさをあらわし、神が聖なる方だと告白ましした。実に神様が家族、財産、健康よりも大事だと言えたからです。
イエス・キリストの歩み
さて、イエス様は言う間でもなく、今日の祈願を完全に全うできた唯一の人です。しかも、子なる神として、御自分の栄光をあらわされました。暗黒の自然現象(マタイ27:45)を通して。多くの苦しみの果てに、十字架刑で苦しみとの天のお父様からの裁きを通して(ローマ3:25-26)。ご誕生、ご生涯、死と復活などで旧約聖書全体にわたる預言を成就したことによって(ルカ24:25-27)。キリストの全てにおいて、神様の聖なる(特別で人間の知恵を超越した)ことが明らかにされています。
イエス様はわざとそうしようと、十字架の前夜に祈られました。
ヨハネ17:4-5 「わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。」
イエス様のしてくださったことを覚えて信じるなら、私たちもどの状況の中でも、「食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すために」歩めますように、祈りたいと思います(第一コリント10:31)。
* 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会。ウェストミンスター信仰基準(小教理問答、第教理問答、信仰告白)は日本基督改革派教会大会出版委員会編訳より。