ウェストミンスター信仰告白…と実践、祈り(シリーズ紹介)
ウェストミンスター信仰告白って、長いですね…。聖書の分厚さを見て「ヒェー」と心の中で悲鳴をあげたノンクリスチャンの方の反応に似ているかもしれません。
全てのクリスチャンが同じ信仰告白を簡易信条にして、イエス様を仰げばいいじゃないか、と思うかもしれません。信仰告白が長くて、日常生活の実践で意味があるだろうか、とも思われるかもしれない。
信仰告白に出会った私
そこで、信仰告白と実践の経験を語らせてください。やや短い信仰告白を持つ教会で育ち、後に神学的浅さから来る悩みを抱いた。もう一方で、いわゆる敬虔主義的な流れの影響を受けて育って、聖書通読や祈りの大切さを知った。(教会の公の礼拝や教会全体での成長、信仰形成より、個人のいわゆるデボーションに重きを置いたことは誤りだったかもしれないが、聖書と祈りの重要性を味わった恩恵を深く感謝している。)
しかし、自分の信仰の内容(神学)がそのまま、実践に出て来た。例えば、自分を責める在籍感の悩みについて、聖書に答えがあることを分からなかった。ところが、大学生時代に神学を教える(しかし実践的な)本を読み、平安と希望や、神様に愛されて救われている確信を抱くようになりました。
さて、いつだったか忘れたが、ウェストミンスター信仰基準の細かい信仰告白(題別の叙述)と教理問答(Q&A形式)と出会って、特に信仰告白と大教理問答はかなり長く見えた。けれども、読んでいくと、聖書を徹底的に基本としていることに気づいた。聖書好きな自分にとって、まとめとして助けとなると思い始めた。
しかも、神学なので理解し難いこともあるが、実際に信じることを聖書から、信仰基準を通して理解を深めると、自分の祈りや聖書の読み方に影響が出るのをも知った。
生きる神学
クリスチャンライフは「生きる」信仰生活であるが、神学は信仰の精髄である。人間は自然と自分や超越した存在、存在意義や生きがいについて「神学して」、その神学を実践して生きる。
クリスチャンなら、創造主なる神(これも神学的な発言!)と活きた関係を持つために必ず「神学」するのである。つまり、真理である聖書を受け取って、頭で整理して、心で受け止める。
ヨハネの福音書17章3・17節「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。…真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。」
聖書と、神学の教本ウェストミンスター信仰告白を手に取り、祈ろう!
そこで、ウェストミンスター信仰告白が実践と実生活に有用であると思って、祈りとの接点をより明らかにする思い巡らし(デボーション)を少死ずつ掲載することにしました。どうぞ読んでみて、共に祈ってください。